【シナ人発言で警官に戒告!?】 『#支那・シナ』という表現は不適切(差別用語)なものではなかった! 【少年がTwitterで暴露!→ 試験で支那と書いたら不正解!「支那は差別用語」(by教師)】
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(出典先)正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 試験で「中国」を「支那」と書いたら不正解!教諭「支那は差別用語」・真実は「中国」こそ差別用語
最近、大阪府警から沖縄に派遣された機動隊員がヘリパッド建設の反対派に対して『土人』『シナ人(支那人)』と、いわゆる差別用語(蔑称)だと言われる表現を発したということで、懲戒処分を受けたと言う出来事がありましたが、
これに加え、2014年の暮ごろに高校(県立)の地理の試験で答案用紙に中国を『支那(シナ)』と書いたところ、教師から「支那は差別用語」だとして不正解になった事を当事者の高校生がTwitterで暴露した出来事があったようですが、これら二つの"事件"を取り上げ今回書かせて頂きました。
目次
- 試験の解答用紙に中国を『支那』と書いたところ不正解にした教師と学校の実態
- なぜ『シナ人(支那人』発言が不適切なのか!? 発言をした巡査長は戒告処分を受ける
- 日本は『支那』と表現するな、中国と表現しろ、と外務省を通して強要されていた。(日本は"あの国"の属国とみなされている)
- まとめ
試験の解答用紙に中国を『支那』と書いたところ不正解にした教師と学校の実態
(出典先)正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 試験で「中国」を「支那」と書いたら不正解!教諭「支那は差別用語」・真実は「中国」こそ差別用語
試験の解答用紙に『中国』を『支那』と書いたら不正解!教師は「支那は差別用語」と少年(高校生)がTwitterで暴露!
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♦ 何故に『支那(シナ)』が差別用語なのか!?
当該学校名は不明ですが、ある高校(県立)の生徒が地理の試験の解答用紙に中国を『支那(シナ)』と書いたところ、教師から「差別用語」だからと言われ不正解とされたという"事件"が一昨年(2014年)の12月あたりであったようです。(当該高校生がTwitterで暴露したことにより発覚)
「支那」に限らず、歴史認識などの判断が分かれる場合に何を正解とするかということに関して、学校全体で共有化されたマニュアルは存在しないそうだ。
試験の答案に「中国」を「支那」と書いたら不正解!炎上騒動の学校に取材 | 探偵Watch(探偵ウォッチ) より引用
関連記事からこの背景を見ても、なぜ『支那(シナ)』が差別用語なのか、この辺りの事が具体的に書かれていない。
歴史認識などの判断がわかれる場合、何を正解とするかについては学校全体で共有化されたマニュアルは存在しない、と学校側は述べたようで、つまり一教師の思想信条(?)などで不正解としたのが実態ではないかとも見受けられます。
試験なんかだと偏差値にも影響するでしょうから、一教師の個人的な思想により明暗が分かれてしまうというのは納得のいかない話でもあります。
♦ 日本の国歌を否定するかのような学校
今回の件とは関係のないものですが、ここは敢えて取り上げることにします。(この学校がどのようなイデオロギーを以て運営されてきたか、その実態をより知る事にもなると思います)
例えば個々の教師が国歌(君が代)を否定し斉唱しない、伴奏しない、起立もしないなどの抵抗を示すのは珍しくはないようですが、教員室に『君が代を歌わなくても良い』などという張り紙がされているとの情報にはドン引きです。学校全体の方針ということでしょうから学校ぐるみで日本の国歌を否定していることに。
これらのツイートが話題になると、当該の高校の卒業生であるという人物が「教員室には、君が代を歌わなくて良いとの張り紙があります」と暴露した。少年はそのような掲示物があることを知らなかったというが、式典で起立しない教師がいることは事実であり、不届きだと思っていたそうだ。試験の答案に「中国」を「支那」と書いたら不正解!炎上騒動の学校に取材 | 探偵Watch(探偵ウォッチ) より引用
国歌(君が代)を知らない、歌えない日本人の存在
この日本に自国の国歌を歌詞を知らず歌う事が出来ない、という方々が現実に存在します・・・。(他国では信じられないことでしょう)
君が代が歌えない : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
※上記記事より一部引用
学校で国家(君が代)を習う事がなかった
君が代が歌えない
私の周りには「君が代」を歌えない人が数人居ます。
思想や、歴史問題が関係して歌えないのではなく、ただ単に歌詞が分からなくて歌えないのです。(もちろん日本人です)
年代は20代~30代の人たちでした。
私自身は学校で「君が代」を習うことはありませんでした。
でも、いつの間にか(子どもの頃から)歌えるようになってましたし、歌詞の意味などもいつ習ったのか記憶にはないけれど、知っています。
「君が代」に触れることなく大人になっている人たちが、どれくらいいるのだろう・・・と疑問に感じました。
皆さんや、皆さんの周りに「君が代」の歌詞が分からなくて歌えない人はいらっしゃいますか?
学校で国歌を教えてもらったことも歌ったこともない、皆、歌えない
いるいる
私学の小学校を卒業した30代
周りは皆歌えません
リズムや音はわかりますが、歌えといわれたら歌えません
学校で教えてもらったことも歌ったこともありません
小さい頃、習った記憶も歌った記憶もない、大人になってから覚えた
わかります!
私もそれ、考えたことあります!
いったい日本人のどれだけの人が歌えるのだろう…って。
実は私40代後半、小さい頃には習った記憶も歌った記憶もなく大人になってから覚えました。
現在10代の子供たちは二人とも小学校で習って歌えます。
上記の例は氷山の一角と言った感じでしょうが、学校で一切、国家(君が代)を習わなかった、歌わなかったというのは、今回のような学校ぐるみで歌わない方針であったとも推測します。
日本の国旗・国歌法
ここから国旗・国歌に関する法律の話になります。
平成11年(1999年)8月13日に国旗及び国歌に関する法律(略称:国家国旗法)が公布・即日施行されましたけど(小渕内閣のとき)、以下の背景をきっかけとして法制化がなされたようです。
1996年(平成8年)頃から、公立学校の教育現場において、当時の文部省の指導で、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に、君が代の斉唱が事実上、義務づけられるようになった。しかし、反対派は「日本国憲法第19条が定める思想・良心の自由に反する」と主張して、社会問題となった。
- 埼玉県立所沢高等学校では、卒業式・入学式での日章旗と君が代の扱いを巡る問題が生じ、1996年(平成8年)より数年にかけて、教育現場及び文部省を取り巻く関係者に議論を呼んだ。
- 1999年(平成11年)には、広島県立世羅高等学校で卒業式前日に、君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する公務員である教職員と文部省の通達との板挟みになっていた校長が自殺。
1999年(平成11年)6月29日の衆議院本会議において当時、首相だった小渕氏(自民党)は日本共産党の志位和夫氏から質問を受け、以下の答弁をされています。
学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。
学校は学習指導要領に基づき国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っているという事実と、法律において国旗の掲揚に関しては義務付けを行う事は考えていない、とした一方で、
当時文部省教育助成局長であった矢野重典は、1999年(平成11年)8月2日の参議院国旗・国歌特別委員会で、公立学校での日章旗掲揚や君が代斉唱の指導について「教職員が国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想・良心の自由を理由に指導を拒否することまでは保障されていない。公務員の身分を持つ以上、適切に執行する必要がある」と表明している。
公立学校と限定したうえで、日章旗掲揚や君が代斉唱の指導について「教職員が国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想・良心の自由を理由に指導を拒否することまでは保障されていない。公務員の身分を持つ以上、適切に執行する必要がある」と答弁していたことが今回わかりましたが、
Twitterで教師の実態を暴露した生徒の学校は県立、つまり公立と同一ですから『君が代を歌わなくて良い』として教員室に張り紙など貼ること自体がとんでもないことであり、しかも公的な裏付けもなく中国を支那と回答すると不正解にする、
まるで【あの国】の出先機関のような、日本の学校とは思えない、そんな様子が伺えますが、今回の主題は国旗・国歌ではありませんので、この問題に関してはここまでにしておきます。
なぜ『シナ人(支那人』発言が不適切なのか!? 発言をした巡査長は戒告処分を受ける
(出典先)正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 事件、事故、犯罪、話題、社会問題
「土人」「シナ人」発言!大阪府警から沖縄に派遣された警官2名(機動隊員)を戒告処分
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『土人』『支那人』を差別語として2警官を戒告処分にした大阪府警の判断は不適切だ !|旗本退屈女のスクラップブック。
♦ 『シナ人(支那人)』がなぜ不適切なのか具体的な理由が不明
先の高校生の問題でもそうですが、なにがどうで差別用語なのか不明で、この『シナ人』発言をした警官を戒告処分とした大阪府警の言い分を拝見しても、なぜ不適切なのかが全く見えてこない。
つまり差別用語:蔑称だとして不適切だとしたのでしょうが、何を根拠に不適切(差別用語)だとしたのかが全く不明な状態。
『土人』発言でもそうですが、別に法的な裏付けがあるわけでもなく、ただ単に差別用語だとされているもの(実態は元々存在した概念を打ち消し、蔑称にすり替えた日本語文化の破壊行為であり、言葉狩りの類)で、言っちゃいけないとして個々が自主規制を強いられている差別用語と言われるものの一つ。(明らかに表現の自由が侵害されている状況だと個人的に思っていますが)
とはいえ、公の立場として注意を受けるのは致し方ない部分もあると思いますが、問題はなぜ『シナ人(支那人)』という表現が不適切なのかという、これに尽きるわけですが、このように考えあぐねていると・・・
今回、この疑問を解消してくれるような、また『シナ人』という表現が不適切、差別表現でもなんでもないという事を教えてくれる、事細かく解説された記事に出会いました。
そして、日本人は『中国』と呼んではいけない、と強く訴えかけるような内容が印象的で、思わず熟読してしまいましたが、以下にその記事を掲載させていただきました。
日本は『支那』と表現するな、中国と表現しろ、と外務省を通して強要されていた。(日本は"あの国"の属国とみなされている)
上記の記事より転載させて頂きました。(上記の記事を拡散推奨いたします)
シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
1.中国の人達の置かれた困った立場
私は中国生まれの中国育ちですが、日本人です。シナ人ではありません。 中国には、中国銀行、中国放送、中国新聞、中国交通、中国ガス機器、中国電力等、 社名に「中国」を含む多くの企業がありますが、言うまでもなくすべて日本の企業です。 また中国には中国山地があり、中国自動車道が通っています。
ところが紛らわしい事に、なぜかマスコミはシナを「中国」と呼び、 中国のことをわざわざ「中国地方」などと脇に押しやったような言い方をしています。 先日も「中国で『讃岐うどん』商標登録申請、香川県が異議へ」という見出しの 新聞記事がありましたが、記事の内容は「シナ人がシナの国内で日本の商標を申請した」というものでした。それなら「シナで『讃岐うどん』商標登録申請」と言うべきです。ほどの見出しでは、まるで瀬戸内海をはさんで中国と四国がもめているみたいです。
正しい地名が恐くて使えない
日本では中国という地名をまともに使えません。 旅行のパンフレットのタイトルを「中国ツアー」にするとシナ旅行と勘違いされます。 食品に「中国産」と付けるとシナ産と見なされます。
2007年、中国にある「中国食品工業」という会社が倒産しました。 当時はシナ産の食品の安全性が世界的に問われた時期で、 社名の「中国」がシナの事と勘違いされ、「シナの食品を専門に扱う会社」と 思われて取り引きが激減したのでした。 安全な食品を求めるのは当然のことですが、問題にされていたのはシナ産であって 中国産ではありません。
シナの「中國銀行」が日本に進出した際、中国の中國銀行との表記の衝突が問題になったこともあります。 この時なぜか、本家中国の中國銀行の方が、「國」の字を「国」に変え、 支店のぶつかる場所では「本店岡山市」という記述を追加して対応したそうです。これは本当に妙な話です。 シナの銀行の方こそ「支那銀行」とか「バンクオブチャイナ 本店北京」とかに変更するべきでした。 そもそもなぜシナの銀行に、日本の地名である「中国」の使用を許したのでしょうか。
こんな異常な出来事が起こるのも、日本のマスコミがシナをかたくなに「中国」と呼び続けて いるためです。その為日本人の多くが「中国」と聞けばシナの事だと思うようになってしまいました。
2.中国は由緒ある日本の地名
比較にならない程古い中国の歴史
日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符の記録に既に見られるということですから、 少なくとも千百年以上の歴史があります。
一方、一般に日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、 まだ六十数年の歴史しかありません。 また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。
ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、 海外にある新興国の略称を優先させていることになります。 なぜこんな不自然な事が起きてしまったのでしょうか。
すべては外務省の通達から
- 中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり, 現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、 今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
- 中華民國、中國、民國。
- 中華民國人、中國人、民國人、華人。
- 日華、米華、中蘇、英華
- などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。
(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)
「今後は理屈を拔きにして」とある通り、理屈の通らない無茶苦茶な押し付けであることは明らかです。 当時の日本は敗戦によって民主主義を封殺され、GHQによる野蛮な検閲と洗脳に支配された時代でしたが、それでもこんな暴力団の脅しのような要求に屈した外務官僚には大いに責任があると思います。
しかしよく読むと、支那と呼ぶべきでないとされているのは「中華民国」、つまり台湾のことです。 また「中国」の他に「民国」という候補も挙げられていますから、 こちらを使えば無用な混乱は避けられたはずです。わざわざ問題のある「中国」の方を使い、さらには中華人民共和国にまで「中国」という名称を適用したことは、 マスコミの過剰適応であり、外務官僚と同罪と言えるでしょう。
驚くべきマスコミの力
それにしてもマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、 過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。 その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。 つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。
このような洗脳により、最近まで日本人がシナをシナと呼んでいた事も歴史から消し去られてしまいました。 それでも個人の中にはいまだにシナと呼ぶ人はいるのですが、 マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものだから、 逆にシナと呼んでいる人達の方が、何か特別な意図を持った人のように思われています。
押し付けに従うのはやめよう
さてこのような理不尽な押し付けによって、日本人とりわけ中国の人達は様々な不利益を被っています。 中国は日本の地名です。戦争に負けたからと言って呼び名を強要されるいわれはありません。 これがシナを「中国」と呼んではいけない 一つ目の理由 です。
- 〔参考文献〕
- 「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄[2006](WiLL 2006年9月号) には、昭和21年当時、支那という記述が世の中から「瞬く間に消えた」経緯が書かれています。 「支那」「中国」という言葉が使われて来た歴史についても解説されています。
3.シナは世界の共通語
さてシナの事をシナと呼ぼうと言うと、いつも決まった反論があります。
「支那(シナ)は日本人だけが使った差別語である」の嘘
「支那(シナ)は日本人だけの呼び名であり、中国人を侮蔑してこう呼んだのだ」と 主張する人がいます。これはまったくの嘘です。
「シナ」も「支那」も日本だけで使われた言葉ではないし、ましてや差別語ではありません。
『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。
インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは当のシナ人です。 そしてシナ人自身も自国を「支那」と呼んでいました。 「国父」とされる孫文も自国を「支那」と言っています。 差別語であればシナ人は使わないはずです。
一方、日本人は元々シナを「から」「もろこし」と呼んでいました。 「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。 江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、『玉がつま』の中で、日本の一部の学者が外国の真似をして「支那」と呼ぶことを批判しています。
- もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、 しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、 馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは、いふまじきことゝ、 物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、 震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば、よろしけれども、 震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名 なれば、そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける、 もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ、 漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、
このことからも、支那(シナ)は「日本人だけが使った言葉」ではない事が明らかです。 むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが使うようになったというのが真実です。
これは今も同じです。 下記の一覧表は、世界の国々がシナを何と呼んでいるかをまとめたものです。 これを見ると、国毎のなまりはあるものの、多くの国が「シナ」に基づく呼び方をしていることが分かります。英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。 朝鮮語の「チュングク」とベトナム語の「トゥルンコック」のみが「中国」に基づいた呼称のようです。 ペルシャ語の「シニスタン」は「震旦(しんたん)」と同源で、やはり「秦(しん)」が元になっています。
「シナ人はシナと呼ばれることを嫌がっている」のうさん臭さ
また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などと もっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。 上に示した通り、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。そもそも中華人民共和国の英語名は "People's Republic of China" で、シナ政府自身がつけた呼び名です。これを日本語に訳すなら、「シナ人民共和国」になる事は言うまでもありません。
2002年、シナの巨大ポータルサイト新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。その時 sina.com の代表者は 「シナは英語のチャイナ(China)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否したそうです。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。
大体シナを「差別語」だと言い張る人達は、日本にいて日本のマスコミの報道に接した人が多いようです。 もしシナにいるシナ人がsina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。
「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ
他に、「支那という呼び方を変えてくれと要請したにも関わらず、日本人は変えようとせず、 意図的に支那と呼び続けた。だから支那は差別語になったのだ」という主張もありますが、論外です。
本当の差別語や明らかに侮蔑している場合はともかく、相手をどう呼ぶかは呼ぶ側が決めることです。 「このように呼んで欲しい」と要請をするのはいいですが、それが受け入れられるかどうかは相手次第です。 それを相手が命令に従わないからと言って「差別」と決めつけるのは、 やくざの言いがかりと同じです。 ましてや相手が国際標準の呼び方をしているところに、ごく少数の国しか使わない特殊な呼び方を 押し付けるなどというのは もってのほかです。
さて彼らが「支那と呼ぶな」という時、必ずその後に「中国と呼べ」が続きます。 これはなぜでしょうか。 それを理解するには、「中国」「支那」の言葉の意味を正確に知る必要があります。
4..二つの「中国」
そもそも「中国」と言う言葉には、「世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。 この用法は固有名詞としての「中国」とは違って、非常に長い歴史があります。 その言葉は中華思想という世界観を前提としています。
中華思想とは何か
その世界観は、「中国」を中心として、四方に野蛮な異民族がいるというものです。 四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき) と呼ばれました。 使われている文字を見れば分かる通り、周辺の異民族を侮蔑してこう呼んだのでした。
そして「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされました。 天子が政治を行う場が朝廷です。 皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。 皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族をも臣下の国として従え、 その国の長に「王」の称号を授けました。
王は皇帝に忠誠を誓い、「中国」に貢ぎ物を納めました。 これがいわゆる「中華秩序」です。だから「中国」は尊称でもあります。
シナの皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。 だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、シナを「中国」と呼びました。 つまり 他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならない という事です。 これに似た働きをする言葉には「ご主人様」や「親分」などがあります。 ある人を「ご主人様」と呼ぶ人は、その人の召使いであることは明らかです。 ある人を「親分」と呼ぶ人は、その人の子分に違いないでしょう。
新たな秩序を持ち込んだもう一つの中国
ところが7世紀の始め、シナの前にもう一つの大国が現れました。 その国もまた自国を中国と呼びました。 下に示すのは、その国から送られてきた国書の一節です。
- 日出づる処の 天子が、日没する処の 天子に手紙を送る
- (日出處天子致書日沒處天子)
天子が二人になっています。 続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。
天子にしか許されないはずの「皇」を名に持つ元首が二人います。
言うまでもなく、これは日本がシナに送った国書です。 共に聖徳太子の手によるものとされていて、 前者はシナの歴史書『隋書』に、後者は日本の歴史書『日本書紀』に記録されています。
上に示した中華思想の世界観を理解していれば、この二つの国書が提示しているものが、共に 「二つの中国」という新しい世界観 であることがお分かりでしょう。これは一つの中国を前提とするシナ人の中華秩序を否定するものでした。 隋の煬帝は不本意ながらもこの国書を受け入れています。 それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。
この新しい秩序を受け入れなかったのは、シナよりもむしろシナの属国の朝鮮でした。 明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も、国書に「皇」の字が使われていると言って拒否しました。 今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王」などと言うのは、 この「二つの中国」という世界観を認めたくないからです。 日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、大和朝廷を「ヤマト王権」と言い換えたがる勢力がありますが、 まったく同じ発想です。 「朝廷」は天子が政治を行う場、「王」は皇帝の臣下であることを思い出して下さい。 「大和」を「ヤマト」に置き換えるのは、「大」が敬称だからです。
シナを「中国」と呼ぶことは日本の基本的立場に反する
さて今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と呼んでいますが、 それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。 しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立なさった「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。 日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。 これがシナを「中国」と呼んではいけない 二つ目の理由です。
朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは、臣下の国としての長い歴史を反映したものなので問題ありません。日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を反映していないからです。 私達は敗戦と共に、そういう間違った呼称を巧妙に押し付けられたということです。 本を正せば、「中国」の意味や聖徳太子の国書の意味を教えない学校教育に根本的な問題があります。
(左の写真は「大清国属高麗国旗」)
〔参考文献〕
『馭戎慨言』本居宣長著[1778] には、聖徳太子以降、日本がシナときちんと張り合って来た歴史が、内外の豊富な史料を元に実証的に描かれています。 日本が中国であったこと、日本人がシナを「中国」と呼んではならない訳なども述べられています。
5.なぜ日本人にシナと呼ばれると都合が悪いのか
打ち砕かれた古い中華秩序
さて19世紀末、日本は日清戦争(1894-1895)で清国を破り、 清の属国であった朝鮮を独立させました。 中国王朝を名乗る清が、もう一つの中国・日本に屈伏し、属国を独立させられたことは、 古い中華秩序が打ち砕かれた象徴的な出来事と言えるでしょう。
しかし日本と清の関係は悪化しませんでした。 清の故国である満州は日清戦争の後ロシアに占領されていましたが、 日本は1904年の日露戦争を戦ってロシアを追い出し、清の手に取り戻しました。 さらに日本は満州の地にインフラを築き、治安を守り、産業を発展させました。 この頃からおびただしい数のシナ人が満州に移住してきました。 一方清は、日本の明治維新を手本にして強力な立憲君主制の国になろうとして、大量の留学生を日本に送りました。今日のシナで、社会科学分野の語彙の7割が日本起源と言われるのはそのためです。
シナの独立と乗っ取り
当時シナ人は清の中で満州人の支配下にありましたが、 日本への留学生らを中心として民族独立運動が起こり、辛亥革命(1911)によって独立を勝ち取りました。 ところが彼らは中華民国を建国(1912)すると、「五族共和」という事を言い始め、 清の支配領域すべてを引き継ぐと宣言しました。
下の地図は清の支配領域の全体を表したものです。 いわゆるシナとは「漢族」と書かれた領域 のことです。 清の領土を引き継ぐという事は、シナ人の領土だけではなく、満州、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土すべてを自分の支配領域にするということです。 辛亥革命は元々シナ人の民族独立運動だったはずなのに、 いつのまにかシナ人による他民族の支配という別の目的に切り替わっていたのでした。 例えて言うと、強盗団に捕まっていた人質の一人が、自由の身になったとたんに 「強盗団の財宝も人質もすべてを自分のものだ」と主張し始めたようなものです。
清代の民族分布
その時に戦略的に使われたのが「中国」という言葉です。 元々「中国」とは自国を表す尊称に過ぎなかったのですが、この頃から支那と同じく領土や国家を表す固有名詞として使われるようになりました。しかも清の領土を引き継ぐと宣言することで、 かつて一度もシナの領土でなかった広大な領域をそこに含めたのでした。 具体的に言うとこうなります。
つまり、他民族の領土にまで「中国」という名前の覆いをかけて、すべて自分の国ということにしたわけです。 もちろん他民族の同意を得た訳ではありません。 この頃からシナ人は日本に対して「支那と呼ぶな」と言って来るようになります。
結局第二次大戦後、シナは満州国をまんまと自分のものにし、日本が多額の投資をした満州の産業をも手に入れました。 しかしそれまで満州は、歴史上ただの一度もシナの支配下になったことはありませんでした。 それなのに満州国の建国を助けた日本は、いつのまにか「中国を侵略した」ということにされています。
その後シナは、モンゴル人(一部は独立)、ウイグル人、チベット人に対する侵略、抑圧、虐殺を繰り返し、それらの地域に大量のシナ人を流入させて「民族浄化」を推し進めています。 シナ政府はこれらの地域で起きていることをひた隠しにしてきましたが、 亡命した人々が世界中で声を上げるにつれ、 次第に世界の人々もそこで起きている事に気づき始めました。 シナ政府は世界からの批判に対して「内政干渉だ」と言って反発していますが、 本来これらの国々は、清が倒れた時に満州国のように独立するべきでした。
シナを「中国」と呼ぶことは侵略の手助け
私達がシナをシナと呼ぶ時は、シナ人が満州、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土を侵略している実態が浮き彫りになります。 反対にシナを「中国」と呼ぶ時は、シナ人による他民族の支配を正当化し、 侵略を積極的に手助けすることになります。 これがシナを「中国」と呼んではいけない 三つ目の理由です。
〔参考文献〕
『大東亜戦争への道』中村粲著[1990] には、日清・日露戦争から大東亜戦争に至る歴史が詳細に描かれています。 満州がシナの領土かどうかについての詳しい考察があります。
(以上、転載ここまで)
まとめ
※日本人が『シナ(支那)』を『中国』と呼んではいけない三つの理由(まとめ)
- 『中国』という表現の理不尽な押し付けによって、日本人とりわけ中国(日本の地名)の人達は様々な不利益を被っている。
- 聖徳太子が確立なさった「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくする。
- シナを「中国」と呼ぶ時は、シナ人による他民族の支配を正当化し、 侵略を積極的に手助けする。
※『支那(シナ)』を『中国』と表現させることは『支那(シナ)』の属国を意味する。
日本に対し『中国』と表現することを強要するのは、日本が『支那(シナ)』の属国を意味し、それ自体が差別を意味するとも解される。
結論としては、
日本人からすると『支那(シナ)』という表現が不適切(差別用語)ではなく、『支那(シナ)』に対し『中国』と表現すること自体が不適切であり、日本人に対する差別語でもあるという事のようです。
つまり、沖縄のヘリパッド建設反対派に対して「シナ人」発言を行った警官には公の立場での言動としては責任が伴うが、その発言そのもを不適切、蔑称(差別用語)として糾弾するのはお門違いという事になるかと思います。逆に不適切な糾弾行動であると。
また、地理の試験で『中国』を『支那(シナ)』と書いた高校生に対して教師が不正解の烙印を押したというのも本来は不適切であったということになるとも考えられます。
そもそも"あの国"自体が日本を蔑み、属国扱いのうえ、宗主国が属国に対して表現させる『中国』という言葉を強要している時点で日本人は差別をされているということになり、それに従うことは「日本は属国です」と認めていることになる。
私自身、本来は『中国』ではなく『支那(シナ)』という表現が正しいのだと、なんとなく理解してはいましたが、あまり深く理由を追及することなく今まで過ごしてきました。
そこへ支那(シナ)表現問題が起きたことをきっかけとして具体的に追及するに至り、なぜ『支那(シナ)』という表現が差別用語といわれるのか、そのあたりの理由を含め、日本人として本来は『支那(シナ)』と表現するべき、『中国』と表現してはならないというコアな実情まで掴むことができて個人的には大きな収穫にもなりましたが、様々な真実を知るにつき、怒りが込み上げてきたという事も個々に記しておきます。
まぁ、要するに"あの国"の政治的なイデオロギーのために日本人は言葉狩りをされているという状況だと思われます。
一人でも多くの日本国民の方がこの真実に気づいて覚醒し、それと同時に日本人としてのアイデンティティを確立し保つきっかけとなれば幸いでございます。
決して"あの国"の属国ではない、日本人は奴隷ではないんだ!、日本人を差別するな!という強い気概をもって言葉狩りを行う、非常に強圧的な集団にも屈しない、そんな強い信念をもって私自身もこれから進んでいこうと決心した次第でございます。