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【千円札・逆さ富士の謎④】詰んでいるWJFプロジェクト 情報操作と論点のすり替えで自分の主張を正当化しようとする欺瞞

 

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(序文)

ここ何日か、千円札に描かれている富士山(湖面に映る逆さ富士)とシナイ山説、そしてこのシナイ山説否定派のWJFプロジェクトに関して記事を書いて参りましたが、とうとう崖っぷちに追い込まれたのか、ありえない情報操作と論点のすり替えを行い、自分の主張(千円札の富士山は「湖畔の春」を忠実に再現している、同じ富士だ)の正当化を行うその欺瞞性について今回書き記してみました。

※まずこの件に関して何が何だかわからないという方は、下記の関連記事をご参照ください。

(関連記事)

wasavi0032016.hatenablog.jp

wasavi0032016.hatenablog.jp

 

(小学生もドン引き!WJFプロジェクトの情報操作?又は文脈が読めない?)

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(出典先)WJFプロジェクト 間違えたときにどう振る舞うか

 

上記は、WJFプロジェクトのありえないコメントです。

 さて、本当に国立印刷局は上記のような返答をされているのかどうか検証してみましょう。

 

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(出典先)新旧お札・逆さ富士の不思議(紙幣の富士山)

 

担当の方 : いえいえ。新千円札の富士山のデザインも、岡田先生の「湖畔の春」を基にしてます。デザインですので微妙に違うのです
新千円札は左下に「桜の花」をあしらってみました。

 

 まず、「ところで、新千円札にも「逆さ富士」がデザインされていますよね。でも、どうも少しデザインが違うように思えるのです。」といって質問者の方は、千円札の「逆さ富士」のデザインに関し違和感を感じそれを国立印刷局に伝え、

そのあと「周りの山の形とか、位置とか…この場所はどこからみたものでしょうか?これは他の方の写真なのですか?」と質問者は聞いておられます。つまり、写真家・岡田紅陽の作品『湖畔の春』モデルにしてデザイン(独自に設計)をした旧五千円札の逆さ富士と千円札の逆さ富士が異なって見えることから、千円札の逆さ富士などは『湖畔の春』ではなく、他の写真をモデルとして描かれたものなのか?という質問者の訴えを表しています。(本記事を参照)

それに対して国立印刷局の担当者は、「新千円札の富士山のデザインも、岡田先生の「湖畔の春」を基にしてます。デザインですので微妙に違うのです。」と回答されておられます。

 

しかし、WJFプロジェクトは・・・

 国立印刷局が「湖畔の春」をもとに「デザインした」と言っている部分は、左下の桜の花の部分だと書いてあるではないですか。 

 

私は上記のコメントを見たときに、思わず卒倒(意識を失い倒れかける)しそうになりましたよ(苦笑)

確かに国立印刷局は「新千円札は左下に「桜の花」をあしらってみました。」と返答されているようですが、これはあくまでも ”因みに”といった補足の意味で答えられたのではないかと捉えるのが通常で、

あくまでも質問者は千円札に描かれている逆さ富士が旧五千円札に描かれている逆さ富士と異なって見えることを訴え、それに対し国立印刷局は「新千円札の富士山のデザインも、岡田先生の「湖畔の春」を基にしてます。デザインですので微妙に違うのです。」と回答をされているわけです。

 

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千円札左下にデザイン(オリジナル)されているのはあくまでも桜の花であって、富士山(逆さ富士)ではないのです。

国立印刷局は、湖面に描かれた「逆さ富士」に関して「湖畔の春」を基にデザインしたものだと返答されているにすぎず、桜の花を主語にして返答をされているわけではないのです。

 

WJFプロジェクトからまさかこういう頓珍漢で、国語のテストだったら完全に×となるようなおかしな主張が出てくるとは思いませんでした。(苦笑)

最初は文脈が読めない、そういう能力に欠けている人なのかとも思いましたけど、あれほどご立派な記事の数々をかけるような人がそんな小学生でもめったいにしない間違いをするだろうか?と・・・

又は、意図的な情報操作で攪乱を目的に書いたのか?このどちらかだと思いますが、それにしても酷過ぎる。吉〇の芸人さんにも即、突っ込みをいれられるレベルですよ。

別にWJFプロジェクトの文章能力を過信しているわけではありませんが、ミスにしてもまず、通常はありえないものだろうし、情報操作による攪乱が目的ではないか?と私は感じているのですが。

 

(WJFプロジェクトの論点のすり替え

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記事の記者は、旧五千円札と新千円札の富士山の絵の「微妙な違い」について書いているのであり、千円札に描かれた絵の中の富士山と、現実の富士山との「微妙な違い」に関してなど述べていない。

 

 WJFプロジェクトは上記のように、今度は質問者(記者)の当初の目的だけをあげつらい、「湖畔の春」と千円札に描かれている富士山(逆さ富士)に関して述べていないと主張しているわけですが、本当にそうなのか?もう敢えて検証する必要もない気がしますが、ここは敢えてやってみようと思います。

 

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この記事を閲覧されているみなさまは、上記の記者と国立印刷局担当者とのやり取りをみられて「旧五千円札と新千円札の富士山の絵の「微妙な違い」について書いているのであり、千円札に描かれた絵の中の富士山と、現実の富士山との「微妙な違い」に関してなど述べていない。」←このように思われますか??

 

ところで、新千円札にも「逆さ富士」がデザインされていますよね。でも、どうも少しデザインが違うように思えるのです。周りの山の形とか、位置とか…この場所はどこからみたものでしょうか?これは他の方の写真なのですか?

 

上記は質問者(記者)の方が千円札の逆さ富士に関して印刷局の担当者に質問をしたものです。

この質問者の方は、ここでは旧五千円札の「湖畔の春」をモデルにデザインされた逆さ富士と千円札の逆さ富士は異なって見えるという前提のもとに上記の質問をされています。これは全体の文章から当然のように読み取れることです。(仮に疑われるのであれば検証してみてください)

青い部分のところを注目して頂きたいのですが、この場所はどこからみたものでしょうか?これは他の方の写真なのですか?と、「湖畔の春」をモデルに独自にデザインされた旧五千円札の逆さ富士とは異なって見えるという前提の下で、なにか別の写真をモデルとしてデザインされたものなのか?と問うているわけです。

 

記事の記者は、旧五千円札と新千円札の富士山の絵の「微妙な違い」について書いているのであり、千円札に描かれた絵の中の富士山と、現実の富士山との「微妙な違い」に関してなど述べていない。

 

そうすると、赤文字ところ、WJFプロジェクトの主張は間違っているということになります。あの印刷局と質問者(記者)の方との間では、旧五千円札と新千円札の富士山の絵の「微妙な違い」に関してのやり取りなど行われていません。

WJFプロジェクトは、あくまでも質問者(記者)の当初の考えや目的を言っているだけのことであり、こちらは質問者(記者)と印刷局との間でのやり取りに重点を置いてWJFプロジェクトの主張は違うだろうと言っているわけです。

このWJFプロジェクトの主張も、先にあげた桜の花の件と同じ匂い(攪乱目的)がしますが、仮に文脈の読み間違いにしても通常ではまずありえないだろうと。つまり意図的な論点のすり替えなのではないかということです。

 

そしてWJFは次のように述べています。

絵に描かれた富士山と、現実の富士山が違っていることは、あたりまえのことがらだからだ

 

今更、言うか!?という感じです。

では、なぜ『湖畔の春』の上にわざわざ千円札の富士山及び逆さ富士を重ね合わせ、日銀は忠実に模写している、再現している、同じ富士山だと反証までして主張したのか?

写真、つまり現実の富士山や逆さ富士と千円札に描かれている富士山等が違っていることがあたりまえだというのなら、あのような反証のやり方をすること自体、意味ないのではいでしょうか?違うとわかって、それがあたりまえのことだと認識しているのなら一致するはずもないのだからやること自体、時間の無駄。

WJFプロジェクトは確かに忠実に模写してあり、同じ富士山だと、これ以外なにものでもないというような主張を今まで行い、これに関して、いや、違う、印刷局は「湖畔の春」をモデルにはしているが、そのままを反映しているのではなく独自のデザインで描いたという事実を突出し、やんや、やんやと討論をしてきたわけです。

 

しかしここへきて、違っているのはあたりまえだと言い出した・・・。

これも攪乱工作の一つなのだろうか?(苦笑)では、何を目的として『湖畔の春』の上に千円札を重ね合わせるという検証をやってみせたのだろうか?『湖畔の春』と千円札の富士山及び逆さ富士は忠実に反映され一致するものだということを証明し、これは紛れもなく富士山であり、シナイ山ではないということを反証したいがために行ったのではないのだろうか??

 

(論点:こちらが問うているものとは・・・)

また、WJFプロジェクトはこうも述べています。

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たとえば、葛飾北斎の富岳百景は、北斎なりのやり方で富士山をデフォルメしたりオリジナルのデザインだが、あなたの理屈に従えば、富岳百景は、「富士山には見えない」ってことになってしまう。

 

何度も、何度も書きますが、こちらは「富士山には見えない」と一言も主張したことはないですね。「同じ富士山には見えない」と主張したことはあるが。 「富士山には見えない」ということは、なにか別の山なのではないかという、そういう考えのもとに富士山であることを否定するニュアンスが含まれている。

一方、「同じ富士山には見えない」というのは、そのものは富士山として描かれたのだろうけど、例えば千円札の逆さ富士と「湖畔の春」の逆さ富士とは違って見えるという意味で、富士山かそうでないかという事を言っているのではないのです。

つまり、WJFプロジェクトは重ね合わせて検証し富士山だ、同じものだと主張するので、こちらはそうではなく、富士山として描かれたのだろうけど、「湖畔の春」と千円札の逆さ富士を見比べて「同じ富士には見えない」という意味で主張しているのであって、「富士山に見えない」と言っているのではないです。ここのところの微妙なニュアンスを理解されていないのではないかと思うのですが、

 

あくまでも論点は、WJFプロジェクトの反証方法や、その結果(同じ富士山だという説)、そしてそれだけの反証でシナイ山説はデマだ、陰謀論だと他者を罵るやり方は正当なのかということを問うているわけです。

 

ところが、WJFプロジェクト側の頓珍漢な主張から、余計に話がおかしくなりだしたわけですが、逆にこちらがデタラメを言ったかの如くの主張をしだしている。 向こうは意図的にそういう作戦に切り替えたのなら、こちらもこちらで考えはありますが、仮にそうなら、あまりにも間抜けな論点ずらし、情報操作なので、この攪乱工作は失敗に終わるでしょうが(笑)

 

ただ一つ、透けて見えるのは、WJFプロジェクトにとって都合の悪いところを無視、見て見ぬふりをし、自分に都合の良いほかの情報を持ち出して反論を行っているということです。 このように考えられるふしがいくつも存在する。

ということは、結局、攪乱工作のためのものではないかと思うのですが、あれだけ他者に対して間違えたら云々と立派なことを主張しておきながら、いざ自分がそうだとこのありさまです。

 

他人には厳しく、自分には甘すぎる、欺瞞に満ちたWJFプロジェクトの今後の在り様、また何かあれば記して参ります。

 

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